日々のつれづれその3

細々と続けてみる。

2006年9月9日 (土) 依頼感想文

早いもので、スロベニアに初めて足を踏み入れた時から、4年が経った。
あのころの自分を思い返すと非常に感慨深い。
なにしろ、わたしは自分の持っている能力を甘く考えすぎていたのだ。
英語を使えないということ、海外旅行が幼いころに家族と行った台湾だけしかなかったということ、自分で飛行機の手配やらなにやら渡航のための準備をしなければならないということ、自分がこれから行く国は滞在している日本人が非常に少ないということ、考えてみれば不安要素ばかりであるのに、なぜかあまり危機感を感じていなかった。
当時の私はただ、精一杯だったけれども、今考えてみるとただ運がよかったとしか思えないことも多々あった。
そして、だからこそ多くのことを学べたように思う。自分には難しいように思われることも、なせばどうにかなるものだということを知ったのもこの一年の経験を通してであるし、多大な影響をいまだに受けている。
リュブリャーナ滞在という経験を通して私が得たのは、もちろんすでに忘れかけているスロベニア語だけではない。世の中には多くの国があって、多くの言葉があって多くの社会があること。ヨーロッパ、ロシア、南北アメリカ、オーストラリア、多くの国で言葉の根本が同じで、共通点があるのに対し、日本語の、日本のまったく違うこと。言葉がきちんと理解しあえなくても、なんとなく仲良くなれること(完璧にはむずかしいけれども。)
そして、スロベニア人が、ワインが好きで山登りが好きで自然が好きで、週末に畑を作ったり家を作ったり!してしまう人が多数いるという国民性であること。自家製食品が身近なところにたくさんあって新鮮なものを食べることを大切にしているように感じられたこと。挙げようとするときりがない。
多くの嬉しい出会いがあり、いろんな人と遊んでもらったのもありがたかった、週末によく登っていたSMARNA GORAの頂上で食べるドーナッツとか、甘いお茶とかも大好きだったし、飲めなかったコーヒーが、好きになったのもリュブリャーナだったし、ちょっと旅行に!といろんな国に行けたのも貴重な体験だった。
ただ日本で一年を学生として過ごすことと比べると比較ができないくらいの経験であった。小さな国だったからこそ、その国だけの考え方にとどまらずに、いろんな考え方があったり、関係があったり、ということを多方面から考える貴重な機会を得ることができたのだと思う。隣国が車で一時間にあるという感覚。長い間国境が絶えず動いてきたということ。島国出身の私としては、非常に興味深かった。もちろん英語を母国語とする国に留学することに比べると目的意識が見つけづらいという面はあったけれども、それを補う以上の、貴重な体験ができたように思われる。帰ってきてからそろそろ3年がたとうとしている。近いうちにまた訪れたい。


.