日々のつれづれその3

細々と続けてみる。

ひまわりと子犬の7日間

ひょんなことから、試写会にあたった同僚に誘ってもらって参加してきたのでした@新橋ヤクルトホール。



「保健所で一定期間が経過すると処分されてしまう犬の話」と聞いて、「うん。泣きそう」と思いますよね。
まあ、びっくりするぐらい涙が出てきました。
涙腺弱くなりすぎです。



犬だって、今まで生きてきた歴史があるんですよね。気持ちも記憶も。
それなのに、人間の勝手な事情である一定の期間が来たら殺処分をされちゃうんです。
人間の悲しいニュースを聞いているだけで、つい感情移入をして辛い気持になっちゃうこの頃なのに、犬の視点でそれぞれの辛さにまで感情移入をしたらtoo muchだよ。ってちょっと思ったのだけれど、それこそが人間の勝手ですよね。



犬島とか、猫島とかを無人島に作って、人間社会にいて困ってしまう子たちは、ひたすら放しに行くとか何か他の手段はないのか?って短絡的に思ってみたり。でもそれだとその島の生態系が壊れるとか問題がでるのかもしれないし、犬とか猫とかが自分たちで餌を見つけられない場所だったとしたらもっと残酷なのかもしれないし、簡単じゃないんだろうなあ。



映画自体は、母親を亡くした小学校高学年のお姉ちゃんと小学校低学年の弟を育てる父親(堺雅人)の話。彼が保健所で働いていて連れてこられて7日間の内に引き取り手がないと処分されてしまう犬たちを管理しているのでした。殺される犬を減らしたい父親とその職業がわかりかけてきた娘との関係。そして、犬たち。



光があたった「ひまわりとその子犬たち」以外の犬たちにももうちょっとスポットがあたって、連れてこられちゃった犬たちがどうすれば、幸せになれる可能性があるかというのがもうちょっと描き出されてれば、よかったのになー。なんて思ったのでした。
ちょっと残念。
その割にはたくさん気持ちを揺さぶられ、泣きまくってきたのだけれど。

【追記:3/20】
二週間ぐらいたつのに、堺雅人の優しい宮崎弁が思い出されることが多い。
優しい方言ていいなあ。
それをみれただけでも、よい映画だったんだなあ。心に残ったなあと思ったのでした。

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犬に感情移入をしてしまった関連で。
悲しいニュースを聞くたびに、つい感情移入をして辛い気持になってしまう今日この頃。
遠い外国で起きた、とりあえず自分が関係しなそうなニュースでは「私の知らない世界」としてあまり気にしないようにできるのだけれど、自分がそこにいたかもしれないと思える事件は、悲しくてやりきれなくなってしまうのですね。

「友達と彼氏とみんなで楽しく車でドライブ中に、トンネルの屋根が落ちてきて一人だけ助かってしまったのが自分だったら」「働いているところに急にやってきたテロリストに残酷な殺され方をされた人が自分の家族だったら」「海外旅行でリゾートへ。散歩していたら突然、目の前で家族が殺されたとしたら」「旅行中に気球に乗っていたら、引火してしまった。火がついた気球は上昇するのみ、どうすればいいんだ、という状態に陥ったとしたら」「ちょうど海の近くに旅行に来ていた時に、地震が起き、逃げた場所にも津波が来て流されたとしたら」


どこかで読んだのだけれど「共感する力が強すぎる人」は、人の悲しいニュースもどんどん自分のこととして受け止めてしまって、ウツになってしまったりするらしいです。だから外部からの悲しいニュースはほどほどにしておいた方がいいのだろうなあ、と思ってみたのです。だからって、まったく知らないのもどうかと思うけれど。

人生は何が起こるんだかわからないのだから、とりあえず楽しんで生きるべし、ですね。きっと。

そして、ちょっとずれるけれど、怒ってもいいことなんて何にもないんだから、フラットな気持ちで仕事したいものです。
(ちょっとイライラして、2つほど突っかかってしまって反省中の今日)