日々のつれづれその3

細々と続けてみる。

2005年1月18日 (火) 「私の話」 鷺沢萌

エッセイなのか、限りなく自分に起こった模様を書いてあるように思われる一人称の小説なのかということを、たまにわからずに本を読んでしまう事がある。

この本は初めは一人称小説なのか?と思いながら読んでいたのだけれど、しかし多分エッセイであるようである。

「私の話1992」「私の話1997」「私の話2002」のみっつのエッセイで構成されていると思われるこの本をもしかしたら、エッセイ的にみせかけた小説なのかもしれないと思ったのは、初めの「私の話1992」の中身があまりにも小説的に不幸すぎたから。こんなに不幸ばかりが起こるのは小説だからだとしか思えなかったから。

この本の作者は去年自殺をしてしまっていて、そのことについて友の家で見つけた彼女の本をみて友と会話をした次の日に図書館でこんな題名の本を見つけたから、つい借りてきてしまったのだけれども、なんだか一つ目の話を読んだら寂しくなってどうしていいかわからなかった。あまりに救いがないように思えて。
これじゃあ「死」を選んでもしょうがないと思わせるようなことばかりが彼女の周りでおきていたから。

結論からいえば、1997、2002と時代が移動していくうちに周りも落ち着いてきて、むしろなんだか希望にあふれていて、このあとに待っているのが「死」であるとは決して思えない話になっていた。よって1992の時の気持のまま去年にいたったのではないのだけは確実。
けっしてそんなふうに読者に考えて欲しくて書いたんじゃない事だけはわかるから、私みたいな読者は作者にとっていらない存在なんだろうな。
すみません。でも彼女の文章を私は好きだから、他の本をきちんと先入観とかなしできちんと読んでみようと思う。

ついでに、3つめの話の中の「ウリ国」の憲法として彼女たちが作った第一条「弱者には同情ではなく愛情を注ぐこと。(p124)」なんだかインパクトが強かった言葉でした。
「弱者には同情ではなく愛情を注ぐこと。」